【翻訳】The Daily Forehandによるワシントン予選1回戦後のインタビュー(1)

テニスのオンラインマガジン風ブログ “The Daily Forehand” を運営しているBen Rothenbergさんが、ワシントン予選1回戦後に行った錦織圭へのインタビューを記事にされています。

The Daily Forehand Talks to Kei Nishikori, The Future Of Asian Tennis – The Daily Forehand

twitterでRothenbergさんにコンタクトを取り、本記事を日本語に訳して転載させてもらう許可をもらいましたので、以下に掲載します。

タイトル:The Daily Forehandがアジアテニスの未来、錦織圭と語る

2008年、錦織圭の前途は洋々だった。

彼はデルレイビーチでATP大会を予選から勝ち上がって優勝し、ジェームス・ブレイクにショックを与えた。そして錦織は数ヵ月後、USオープンでまたしても同等の活躍をした。世界No.4のダビド・フェレールを破り4回戦に進出したのである。2009年の初めには、彼のランキングはキャリアハイの56位まで到達した。

しかし全てが上手く行きかけていた矢先、右肘の故障が発生し、2009年3月から2010年2月までのほぼ丸一年間を棒に振らざるを得なかった。彼は復帰間もない段階でグリーンクレーのチャレンジャーをいくつか優勝したが、厳しいドローにも苦しめられ、現在のランキングは194位に留まっている。

地元のワイルドカード選手Junior A. Oreに対して楽勝した予選1回戦の後、私は錦織と彼の故障、カムバック、アジアの男子テニス、そして彼の将来の目標について話し合った。

***

The Daily Forehand (以下TDF):今日の試合は素晴らしかったですね。試合開始直後はもたついて、最初のサービスをブレイクされてしまいましたが、その後は本当に速かった。硬さが取れるまでしばらく時間がかかったということなんでしょうか?

錦織圭:最初のゲームは硬さがあって、体も少し重かったです。やってはいけないミスを2つほどやってしまって・・・。彼(対戦相手)にとっては楽なゲームだったと思います。その後はストロークに自信が出始めて突然、「ブーン!」って感じで(笑)、いいプレーができ始めたんです。

TDF:あなたはウィンブルドンの1回戦でナダルと、全仏2回戦でジョコビッチと対戦しました。ドロー運が悪かったと思いますか?この2人のトップ3選手とこんなに早いラウンドで当たらなければ、もっと勝ち進んでいたと思いますか?

錦織圭:そういう風には考えたくないです。しかし非常に厳しいドローだったのは確かです。全仏はジョコビッチ、クイーンズではガスケ、そしてウィンブルドンではナダルですから。でも彼らに挑戦することができて良かったと思います。

TDF:今年カムバックして、チャレンジャーを既に2つ優勝しています。サラソタとサバンナ、どちらもグリーンクレーです。この2勝は簡単だったとということはないでしょうが、少なくとも非常に(復帰してから)早かった。チャレンジャーレベルでは再び成功を収めたわけですが、ATPツアーレベルでまた勝てるようになるには何が必要だと思いますか?

錦織圭:その2つの大会を連続で優勝したことにはちょっと自分でも驚きました。チャレンジャーで優勝することは目標の一つだったんです。当時は2月にカムバックしてからあまり経ってなくて、まだ悪戦苦闘していました。でもこの2つの優勝で自信が付きました。2大会連続というのは、自分にとって本当に大きかったです。そして全仏では1回戦でタフな試合に勝つことができました。でもここ(ワシントン、ATP500)とチャレンジャーではレベルが違います。もっと安定したプレーをしなければならないし、サーブも強化しないといけません。取り組むべき課題がいくつかあります。

TDF:あなたのプレーは非常に華やかですよね。ビッグショットをたくさん打って。どうやって安定性とバランスと取っているのですか?この2つは両立し難いように思うのですが・・・。

錦織圭:(笑って)もっと安定したプレーをして、簡単な球をミスしないように心がけてはいますが・・・、そうですね、それ(派手なプレー)が私のテニスです。

TDF:簡単なショットをミスしないように、というのは完全にメンタル的なものだということですか?

錦織圭:ええ、そうです。

TDF:あなたは肘の故障によってほぼ丸一年間、戦線離脱したわけですが、その間に何をしていましたか?テニスから完全に離れていたのですか?それともテニスから離れないように心がけていましたか?

錦織圭:いいえ、最初の2ヶ月間は何もできませんでした。8月に手術をして、それから2,3ヶ月間日本でリハビリをしていただけです。テニスなしで過ごすのは本当に辛かったです。

TDF:ではテニスができなかった期間、何をしていましたか?

錦織圭:何にも。ただトレーニングをやっていただけです。右肘を手術したので左手でちょっと打ったりしてみました。

TDF:左手のトレーニングがとにかく役立つと考えたわけですね、例えばバックハンドに効果があるとか?

錦織圭:うーん、まあちょっとは(笑)。

・・・その2に続く(眠い・・・)

3 件のコメント

  • 団長、お仕事で疲れているのに、翻訳ありがとうございますm(__)m
    あまりに長いので手を出せなかった私としては、とってもうれしいです(*^-‘)b
    後半もお待ちしております!
    団長、頑張れ〜(^o^)/

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  • 暑いのにお疲れ様です。
    早く続き読みたいです。
    まってま~す!

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  • ドロー運は確実に悪いっしょ、って
    wowowでは言ってたのに~イイ子ぶってるぞ!!笑

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     テニスを愛する理系人間。よく理屈っぽいと言われる。  プレースタイルはサーブアンドボレー、というよりサーブ。ストロークは弱い。  2008年2月15日に本ブログを開設。その数日後に錦織圭はあのデルレイビーチ優勝を成し遂げる。  錦織圭の存在を知ったのは2004年。その後2006年全仏ジュニアベスト8で再注目。2007年のプロデビュー(AIGオープン)で錦織の試合を初観戦。その後の活躍を確信し、今に至る。